即興文学

即興文学#13 -いるか座と泳げなくなった私-

即興で書いた短編を公開するシリーズ、「即興文学」です。

今日は「いるか座と泳げなくなった私」をお届けします。

本文

水泳部で100mの練習をしていた。

「あと4本…」

スタート台から水中に飛び込んだ。

いつものようにクロールで泳いだ。

壁が近づいてきた。

そこでターンしたとき、脚に激痛が走った。

「いたい…」

そこは水中だった。

私は泡を大量に吐いた。

頭上の光がどんどん遠くなっていった。

「くるしい… 息が」

私は手をじたばたさせて水面を目指した。

だが、脚が動かなかった。

「もう、死んじゃう…」

そこから先の記憶はない。

気づけば私は心臓マッサージを受けていた。

「けほっけほっ… ぶはっ!」

私はプールサイドに水を一気に吐き出した。

「よかった!死んじゃったかと思ったよ…」

同級生の子が泣きそうな顔で私を見ていた。

そのまま私は更衣室に行き、制服に着替えた。

顧問が言った。

「ターンの時、脚がつって溺れてた。もう少し遅かったら助からなかったかもしれない。病気のこともあるから、一応病院に行って検査を受けたほうがいい」

私はそれを黙って聞いていた。

病院に行ったが、特に異常はなかった。

その日以来、私は水の中に入れなくなった。

水着に着替えても、プールサイドで仲間が練習している様子を見ることしかできなかった。

最初の1ヶ月は部活に顔を出して、仲間の練習を見ていた。

そんなとき、男子たちがこう言った。

「お前、まだ泳がないの?ちょっとくらい溺れたからって、まだ引きずるの?メンタル弱すぎ。そんなんなら来んなよ」

「そうだよ。あんなの誰にでもあり得ること。そんなのをいちいち気にしてて縮こまってて、見てるこっちも気分悪いんだけど。迷惑だから帰れ」

私はそのとき、何も言わずに制服に着替えて帰った。

家に帰り、自分の部屋で思い切り泣いた。

「私だって、ほんとは泳ぎたいのに…!怖くて水の中に入れないの。なのにあんなこと言うなんて、ひどすぎるよ…」

私は枕に頭を押し付けて泣き続けた。

スマホを見ると、水泳部のみんなで撮った記念写真が出てきた。

「私だって泳ぎたいのに…。どうしちゃったんだろう」

私はその写真の左半分をトリミングして、女子だけの写真にした。

「あんなこと言うなんて、ひどすぎるよ。私だってわかってるのに…」

私は高校での成績は中の下くらいだった。

ほとんど毎日水泳に打ち込んできた。

それが一日で崩壊していった。

「もう私、二度と泳げないのかな」

それから部活には一切顔を出さなくなった。

私の周りの友達はほとんど水泳部の子たちだった。

部活に行かなくなってから会う機会が減り、どんどん疎遠になっていった。

「え、私抜きでパンケーキ食べにいってるの…?」

Instagramには、水泳部の子たちが3人で撮ったプリクラとパンケーキの写真が並んでいた。

「前は4人で遊んでたじゃん。もう誘ってもくれないの?」

私はそのとき、友達を失った。

翌朝、高校に行くと私の周りには誰もいなかった。

あの3人は遠くの席で楽しそうにはしゃいでいた。

「なんで、私だけ…」

私は机に突っ伏してまた泣いてしまった。

だが、誰も気づいてくれなかった。

授業が終わった。

今日は誰とも話さなかった。

私は人と話すのが大好きで、前はみんなと大はしゃぎして笑っていた。

でも、今日は誰も声をかけてくれなかった。

「私なんか、もういないほうがいいのかな」

私は屋上に行ってみた。

柵に近づいた。

「ここから落ちたら、すべてが終わるのかな」

そんなことを考えていた。

「今日もみんな泳いでるのかな。私だって泳ぎたいのに」

私は柵にもたれかかった。

「おい、そんなところで何してるんだ」

振り返ると、水泳部の顧問がいた。

「ずっと見かけなかったけど、ここにいたんだな」

私は黙り込んだ。

「あのとき、助かってよかった」

私はその言葉が引っかかった。

「べつに、よくないよ。私はもう水が怖くて泳げなくなっちゃった。みんなからも避けられてるし、私の居場所なんてもうないよ。あのまま死んじゃってたほうがずっとよかった」

顧問は私の隣に来た。

「そうか。今まで水泳、ずっと頑張ってたもんな」

もう日が沈んでいる。

私は赤と青が混ざった空をずっと見ていた。

「今日、星を見てみないか?」

星?

なんで星なんだろう。

「星?水泳と関係ないじゃん。興味ないしいいよ。もう帰るね」

私は帰ろうとした。

「お前はこの前、イルカになりたいって笑って話してたよな」

私は足を止めた。

「そうだよ。私もイルカになりたかった。ずっと泳いでられるもん。でも、もう私泳げなくなっちゃった。だから忘れるよ。もしかしたら私、明日にはいないかもしれないね」

私の声は震えていた。

本当はこのまま終わりたくなかった。

顧問に気づいてほしくて、暗いことを言ってみた。

「じゃあさ、いるか座を見てみないか?」

意外だった。

「いるか座…?なにそれ」

「夏に見れる星座だ。この前調べたら見つけたんだよ。もしかしたら見たらなにか変わるかもしれない。見てほしい」

顧問の表情は真剣だった。

「私、星に興味ないし。もう息するのもつらい」

私の声は聞こえづらいほど震えていた。

「みんなはお前のこと避けてるけどな、俺はお前のこと気にしてたからな」

私はそれを聞いて、目が潤んでしまった。

「ありがとう」

私は柵の横で座り込んだ。

顧問がカバンからおにぎりを出していた。

「わかめおにぎり、好きだろ?」

昔の私は「わかめおにぎり美味しい!」と言っていたっけ。

「ありがとう。私なんかのために」

そのおにぎりは少し潰れて形が変になっていた。

でも、そんなのどうでもよかった。

私は柵に寄りかかっておにぎりのパッケージを開けた。

「もうすぐ空が暗くなってくると思う」

顧問はずっと空を見ている。

「わかめおにぎり、おいしい」

「ほんと?よかった」

涙が頬を伝って落ちていった。

おにぎりを少しずつ、たくさん噛んで食べた。

「お!星空見えてきた!」

顧問が大きな声を出している。

夜空を見上げたら、そこにはいつもと同じように多くの星が輝いていた。

田舎に住む私にとって、星空は普通の光景だった。

特に明るい星が3つ、私の真上で輝いていた。

「あれが夏の大三角?」

「そうだ。あれがアルタイル。あの近くにいるか座がいるはずなんだけどな…」

顧問は星座早見盤とにらめっこしていた。

「え、暗くて見えづらいじゃん。大丈夫なの?」

「忘れてた。たしかに見えづらいな」

私はそこでくすっと笑ってしまった。

「私がアプリで位置を調べてあげるよ。前家族がいいって言ってたアプリを入れてみるね」

私はアプリストアを開いた。

「え、300MBも!?まあいっか、もうどうにでもなれ」

ダウンロードボタンを押した。

星図アプリが起動した。

「おお、すごい…」

顧問が私のスマホを覗いてきた。

「今のアプリはほんとすごいな。星座早見盤もいらないくらいだ」

私は「いるか座」と検索した。

出てきた。

「え、これ?」

いるか座はアルタイルのすぐ左にあった。

「え、くら。めっちゃ地味じゃん。こんなの見えるの?」

「さあ、わからん。でもがんばって見てみよう」

私は「顧問ってちょっと抜けてるな」と思った。

「あそこらへんでしょ?アルタイルの左だから」

「そうだな」

しばらくすると、その位置になんだかキラキラが見え始めた。

「え、あれがいるか座?なんか4つくらい星が集まってるよ」

「だと思う」

私は少しがっかりした。

「いるか座」と聞いたから、もっと巨大で明るい星座なのかと思っていた。

「めっちゃ地味じゃん」

「だな」

私たちはしばらくその淡いキラキラを見つめていた。

「でも、双眼鏡で見るとよく見えるらしい」

「え、今日持ってきてるの?」

「いや、忘れた」

「何してんの?やっぱりちょっと抜けてるよね」

私は少しだけ笑った。

「どう?明日晴れたら双眼鏡でいるか座見るか?それともこの世から消えるのか?」

顧問の声は震えていた。

私は少し黙ってから言った。

「やっぱりいるか座、ちゃんと見たいかも。双眼鏡でどんな感じに見えるか見てみたい」

顧問は笑顔になった。

「よし、じゃあ明日双眼鏡持ってくる。晴れたらまたここに来いよ」

「うん。また来るね」

私は夜空を見上げた。

家に帰って、私はInstagramの代わりに星図アプリを開いた。

「私はひとりじゃない」と少しだけ思えた夜だった。

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