即興で書いた短編を公開するシリーズ、「即興文学」です。
今日は「いるか座と泳げなくなった私」をお届けします。
本文
水泳部で100mの練習をしていた。
「あと4本…」
スタート台から水中に飛び込んだ。
いつものようにクロールで泳いだ。
壁が近づいてきた。
そこでターンしたとき、脚に激痛が走った。
「いたい…」
そこは水中だった。
私は泡を大量に吐いた。
頭上の光がどんどん遠くなっていった。
「くるしい… 息が」
私は手をじたばたさせて水面を目指した。
だが、脚が動かなかった。
「もう、死んじゃう…」
そこから先の記憶はない。
気づけば私は心臓マッサージを受けていた。
「けほっけほっ… ぶはっ!」
私はプールサイドに水を一気に吐き出した。
「よかった!死んじゃったかと思ったよ…」
同級生の子が泣きそうな顔で私を見ていた。
そのまま私は更衣室に行き、制服に着替えた。
顧問が言った。
「ターンの時、脚がつって溺れてた。もう少し遅かったら助からなかったかもしれない。病気のこともあるから、一応病院に行って検査を受けたほうがいい」
私はそれを黙って聞いていた。
病院に行ったが、特に異常はなかった。
その日以来、私は水の中に入れなくなった。
水着に着替えても、プールサイドで仲間が練習している様子を見ることしかできなかった。
最初の1ヶ月は部活に顔を出して、仲間の練習を見ていた。
そんなとき、男子たちがこう言った。
「お前、まだ泳がないの?ちょっとくらい溺れたからって、まだ引きずるの?メンタル弱すぎ。そんなんなら来んなよ」
「そうだよ。あんなの誰にでもあり得ること。そんなのをいちいち気にしてて縮こまってて、見てるこっちも気分悪いんだけど。迷惑だから帰れ」
私はそのとき、何も言わずに制服に着替えて帰った。
家に帰り、自分の部屋で思い切り泣いた。
「私だって、ほんとは泳ぎたいのに…!怖くて水の中に入れないの。なのにあんなこと言うなんて、ひどすぎるよ…」
私は枕に頭を押し付けて泣き続けた。
スマホを見ると、水泳部のみんなで撮った記念写真が出てきた。
「私だって泳ぎたいのに…。どうしちゃったんだろう」
私はその写真の左半分をトリミングして、女子だけの写真にした。
「あんなこと言うなんて、ひどすぎるよ。私だってわかってるのに…」
私は高校での成績は中の下くらいだった。
ほとんど毎日水泳に打ち込んできた。
それが一日で崩壊していった。
「もう私、二度と泳げないのかな」
それから部活には一切顔を出さなくなった。
私の周りの友達はほとんど水泳部の子たちだった。
部活に行かなくなってから会う機会が減り、どんどん疎遠になっていった。
「え、私抜きでパンケーキ食べにいってるの…?」
Instagramには、水泳部の子たちが3人で撮ったプリクラとパンケーキの写真が並んでいた。
「前は4人で遊んでたじゃん。もう誘ってもくれないの?」
私はそのとき、友達を失った。
翌朝、高校に行くと私の周りには誰もいなかった。
あの3人は遠くの席で楽しそうにはしゃいでいた。
「なんで、私だけ…」
私は机に突っ伏してまた泣いてしまった。
だが、誰も気づいてくれなかった。
授業が終わった。
今日は誰とも話さなかった。
私は人と話すのが大好きで、前はみんなと大はしゃぎして笑っていた。
でも、今日は誰も声をかけてくれなかった。
「私なんか、もういないほうがいいのかな」
私は屋上に行ってみた。
柵に近づいた。
「ここから落ちたら、すべてが終わるのかな」
そんなことを考えていた。
「今日もみんな泳いでるのかな。私だって泳ぎたいのに」
私は柵にもたれかかった。
「おい、そんなところで何してるんだ」
振り返ると、水泳部の顧問がいた。
「ずっと見かけなかったけど、ここにいたんだな」
私は黙り込んだ。
「あのとき、助かってよかった」
私はその言葉が引っかかった。
「べつに、よくないよ。私はもう水が怖くて泳げなくなっちゃった。みんなからも避けられてるし、私の居場所なんてもうないよ。あのまま死んじゃってたほうがずっとよかった」
顧問は私の隣に来た。
「そうか。今まで水泳、ずっと頑張ってたもんな」
もう日が沈んでいる。
私は赤と青が混ざった空をずっと見ていた。
「今日、星を見てみないか?」
星?
なんで星なんだろう。
「星?水泳と関係ないじゃん。興味ないしいいよ。もう帰るね」
私は帰ろうとした。
「お前はこの前、イルカになりたいって笑って話してたよな」
私は足を止めた。
「そうだよ。私もイルカになりたかった。ずっと泳いでられるもん。でも、もう私泳げなくなっちゃった。だから忘れるよ。もしかしたら私、明日にはいないかもしれないね」
私の声は震えていた。
本当はこのまま終わりたくなかった。
顧問に気づいてほしくて、暗いことを言ってみた。
「じゃあさ、いるか座を見てみないか?」
意外だった。
「いるか座…?なにそれ」
「夏に見れる星座だ。この前調べたら見つけたんだよ。もしかしたら見たらなにか変わるかもしれない。見てほしい」
顧問の表情は真剣だった。
「私、星に興味ないし。もう息するのもつらい」
私の声は聞こえづらいほど震えていた。
「みんなはお前のこと避けてるけどな、俺はお前のこと気にしてたからな」
私はそれを聞いて、目が潤んでしまった。
「ありがとう」
私は柵の横で座り込んだ。
顧問がカバンからおにぎりを出していた。
「わかめおにぎり、好きだろ?」
昔の私は「わかめおにぎり美味しい!」と言っていたっけ。
「ありがとう。私なんかのために」
そのおにぎりは少し潰れて形が変になっていた。
でも、そんなのどうでもよかった。
私は柵に寄りかかっておにぎりのパッケージを開けた。
「もうすぐ空が暗くなってくると思う」
顧問はずっと空を見ている。
「わかめおにぎり、おいしい」
「ほんと?よかった」
涙が頬を伝って落ちていった。
おにぎりを少しずつ、たくさん噛んで食べた。
「お!星空見えてきた!」
顧問が大きな声を出している。
夜空を見上げたら、そこにはいつもと同じように多くの星が輝いていた。
田舎に住む私にとって、星空は普通の光景だった。
特に明るい星が3つ、私の真上で輝いていた。
「あれが夏の大三角?」
「そうだ。あれがアルタイル。あの近くにいるか座がいるはずなんだけどな…」
顧問は星座早見盤とにらめっこしていた。
「え、暗くて見えづらいじゃん。大丈夫なの?」
「忘れてた。たしかに見えづらいな」
私はそこでくすっと笑ってしまった。
「私がアプリで位置を調べてあげるよ。前家族がいいって言ってたアプリを入れてみるね」
私はアプリストアを開いた。
「え、300MBも!?まあいっか、もうどうにでもなれ」
ダウンロードボタンを押した。
星図アプリが起動した。
「おお、すごい…」
顧問が私のスマホを覗いてきた。
「今のアプリはほんとすごいな。星座早見盤もいらないくらいだ」
私は「いるか座」と検索した。
出てきた。
「え、これ?」
いるか座はアルタイルのすぐ左にあった。
「え、くら。めっちゃ地味じゃん。こんなの見えるの?」
「さあ、わからん。でもがんばって見てみよう」
私は「顧問ってちょっと抜けてるな」と思った。
「あそこらへんでしょ?アルタイルの左だから」
「そうだな」
しばらくすると、その位置になんだかキラキラが見え始めた。
「え、あれがいるか座?なんか4つくらい星が集まってるよ」
「だと思う」
私は少しがっかりした。
「いるか座」と聞いたから、もっと巨大で明るい星座なのかと思っていた。
「めっちゃ地味じゃん」
「だな」
私たちはしばらくその淡いキラキラを見つめていた。
「でも、双眼鏡で見るとよく見えるらしい」
「え、今日持ってきてるの?」
「いや、忘れた」
「何してんの?やっぱりちょっと抜けてるよね」
私は少しだけ笑った。
「どう?明日晴れたら双眼鏡でいるか座見るか?それともこの世から消えるのか?」
顧問の声は震えていた。
私は少し黙ってから言った。
「やっぱりいるか座、ちゃんと見たいかも。双眼鏡でどんな感じに見えるか見てみたい」
顧問は笑顔になった。
「よし、じゃあ明日双眼鏡持ってくる。晴れたらまたここに来いよ」
「うん。また来るね」
私は夜空を見上げた。
家に帰って、私はInstagramの代わりに星図アプリを開いた。
「私はひとりじゃない」と少しだけ思えた夜だった。



















