即興で書いた短編を公開するシリーズ、「即興文学」です。
今日は「高校の外で土星を見た夜」をお届けします。
本文
私が不登校になってからもう半年くらいが過ぎた。
夏休み明けの最初の日、私は玄関で靴を履こうとした。
そのとき、呼吸が苦しくなった。
過呼吸になった。
そこからなんだかんだで高校には行けていない。
「単位落としまくってるな…」
私は高校のカリキュラムの表を見ながらため息をついた。
単位が足りなければ進級はできない。
そしたら留年になる。
でも、それでまた通える保証はない。
父親は「定時制か通信制にしたらどうだ?」と言っていた。
だが、私からしたら定時制や通信制は落ちこぼれたちが行くようなイメージで気が進まなかった。
最初は同級生から心配するLINEがたくさんきた。
「どうしたの?元気?」
「元気になったらまた来てくれるとうれしいな」
「また一緒にスタバ行きたいね」
だが、最近はもうなんの連絡もない。
私なんか忘れ去られてしまったのだろう。
私には夢があった。
「看護師になりたい」
高1の頃からそう思っていた。
きっかけは、体調不良で1ヶ月入院したことだった。
そこで出会った看護師さんがとても明るくて優しくて、いつも面白い話をしてくれた。
「私もあの人みたいになりたいな…」
だが、気づけば私は高校の単位を落としまくっていた。
何度も高校に行こうとがんばった。
でも、制服を着て靴を履こうとすると過呼吸になってしまう。
それ以来制服は着ていない。
私はクローゼットを開けてみた。
そこには昔は毎日のようにはいていたスカートがあった。
「私ももしかしたら、みんなと同じように文化祭を楽しんでたのかな」
急にむなしくなった。
「私、なにしてるんだろ…」
学校にも行っていないし、バイトにも行っていない。
「私なんか、社会のゴミなのかもね」
私はベッドに入ってInstagramを開いた。
通知はゼロだけどついつい見てしまう。
「みんなとスタバの新作飲みに行った!最高!イェーイ!」
「みんなで東京まで行った!東京スカイツリーからの景色最高だった!」
画面の向こうには私がいるはずだった世界が広がっている。
「私ももしかしたら、あそこにいれたのかな」
DM一覧を見る。
昔の親友だった人のトークを開いた。
「今度一緒に遊ぼうよ!」
「うん!」
それで止まっていた。
目が急に潤んできた。
「私のことなんか、誰も必要としてないよ…」
私は枕に顔を沈ませて泣くのをこらえた。
だが、枕が少し濡れてしまった。
気づいたら夜になっていた。
「今日もこんな感じで終わってくのか…。私ってなんのために生きてるんだろ」
私は自分の部屋を出てリビングにご飯を食べに行った。
そこに父がいた。
「どうした?なんか元気なさそうだけど」
「べつに。いつも通りだけど」
「そっか。そういえば、押し入れから望遠鏡が出てきたんだよね」
望遠鏡…?
「昔お前が欲しいって言ってて、誕生日プレゼントに買ったやつ。大事にしまわれてたよ」
「そんなこともあったっけ」
それは、多分中学2年生のときだったと思う。
父と一緒に望遠鏡で月を見た。
「どう?今日晴れてるからまた出してみる?」
「いや、興味ない。もう何もかも嫌になった」
「そっか…」
父は黙り込んでしまった。
「でもな、昔は土星の環までは見れなかっただろ。今日は観れると思うぞ」
土星…?
なんか輪っかがついてるやつか。
「土星なんてどこにいるの?正直興味ないし、寒いからやだ」
「今はかに座の方向にいる。もう昇ってると思う」
「そうなんだ。ひとりで見れば」
私はそのまま無言でご飯を食べ、さっさとお風呂に入った。
お風呂で髪を洗っていると、今日一日の光景が浮かんでくる。
朝起きてスマホいじって、それで終わり。
「私なんて、生きてる意味ないよね…」
私は髪を洗いながらまた泣き出してしまった。
シャワーが止められなかった。
「もうどうしたらいいの…。周りはもうすぐ進学するのに…」
私は浴槽に目をやった。
「ここで溺れたら、私の人生は終わるのかな」
だが私はやめた。
水泳も苦手で、水が怖かったからだ。
「つらいよ…」
私はお風呂からあがった。
リビングでは父が望遠鏡をいじっていた。
「ねえ、何してるの?」
「今?久しぶりだったから光軸ずれてた。あとアイピースも持ってきたよ」
「そっか。私はもう寝るね」
私は興味がなかった。
部屋に戻ろうと思った。
「もう寝るの?でもさ、家にいてもインスタ見るだけだろ?それの何が楽しいんだよ。外に出てみろ。土星が待ってるぞ」
私は少しイラっときた。
でも、すぐに悲しさがやってきた。
「私だってわかってるよ!インスタ開いても楽しい子たちしか出てこないもん。でもそれくらいしかやることなくて…。もうどうしたらいいかわかんないよ」
父は黙って聞いていた。
「そんなときこそ星を見るんだ。中学校の時のお前は晴れてたら毎日ベランダに出て望遠鏡で星の観察してたぞ。その時のほうが楽しそうだった。だからもう一度、望遠鏡触ってみないか?」
私は少し考えた。
「でも、今は寒いんでしょ?」
「髪乾かして、着替えてカイロすれば大丈夫さ。土星の環、見てみる?」
「うん」
「じゃあ髪乾かさないとな」
久しぶりに父がドライヤーで髪を乾かしてくれた。
私はその間、スマホで土星のことを調べていた。
「今が見頃なんだ…」
スマホに星図アプリをダウンロードした。
「へえ、もう昇ってきてる…」
私たちは真冬の服装に着替えた。
「今日はちょっといい場所を紹介してやる」
父が重そうな望遠鏡を外に運んで、車のトランクに積んでいる。
「ねえ、どこか行くの?」
「うん。空が暗い場所に行こうと思って。そこまで遠くはない」
「え、大丈夫なの?明日も仕事じゃないの?」
「少しくらい大丈夫だ。さあ行こう」
私は車の助手席に乗った。
父とふたりきりで車に乗るのは何年ぶりだろう。
いつもは母がいるが、今日は夜勤でいない。
「着いたぞ」
車から降りると、そこは真っ暗だった。
「暗い…」
「上を見てみろ。今日はすごいぞ」
そこには、無数の光の粒たちがいた。
「え、すごい…」
「すごいだろ?ここは穴場なんだ」
「え、そうなの?」
「そうだ」
私は暗闇に輝く無数の星々に夢中になっていた。
「ねえ、あの明るいのなに?」
「あれが多分土星だと思う」
「え、そうなの!?」
「ああ」
私はスマホを開いた。
「うわ、まぶしい!明るさ落とさなきゃ」
画面の明るさを最低にした。
そしてコンパスを起動した。
「ほんとだ、あれが土星で間違いないね」
父がトランクから望遠鏡を出している。
「久しぶりだけど、使い方覚えてる?」
私はもう2年以上望遠鏡を触っていなかった。
「全部忘れたかも」
「そっか。でも簡単だ。上下左右に動かして土星を視野に入れればいい」
「え、手動でやるの?」
「そうだけど?」
「まじ?めんどくさ」
私は勝手に望遠鏡が土星のほうを向いてくれるものだと思っていた。
「まずはファインダーの中に土星を入れるんだ。やってみ」
私は三脚みたいなやつのネジを動かしていった。
「あ、明るい星入ったかも。これで合ってる?」
「これは違うな。土星じゃない」
「えー…」
「土星はもっと明るい」
私はまた別の星を探した。
「これはどう?」
「うーん、これも違うな」
「うそ?どうすんの?」
私はだんだん嫌になってきた。
やっぱり私は「できない子」なのかもしれない。
「いいか、ファインダーだけ見てちゃダメだ。ちゃんと空も見るんだ。あそこに土星がいるだろ?今望遠鏡が下を向きすぎてる。もっと上を向かないと」
「なるほどね…」
なんか「下を向きすぎてる」という言葉が図星だった。
望遠鏡を上のほうに動かしていくと、今までで一番明るい点が見えた。
「お!これ明るい!どう?」
父がファインダーを覗きこんだ。
「これだ!これが土星だと思う」
「ほんと!ここからどうするの?」
「次はアイピースを覗いて、微調整するんだ」
私は望遠鏡にくっついているアイピースを覗きこんだ。
「お!なんか真ん中に小さいのがいるよ!」
「それが土星だ!今はまだ低倍率のアイピースだけど、変えてみる?」
「うん!」
父がアイピースを変えた。
「のぞいてみ」
私はアイピースを覗きこんだ。
そこには何もなかった。
「あれ?なんもないじゃん。どうして?」
「たぶんまた位置がずれたと思う。ファインダーを見て合わせ直すんだ」
「えー…。めんどくさいな。またやり直し?」
「いや、さっき大体合わせたからすぐ見つかると思う。失敗してもその分近づくんだ。だから一発で合わせようとしなくていい」
私はその言葉がなんか心に引っかかった。
「失敗しても、答えに近づけるの?」
「ああ。一度で成功しなくても、その分答えには近づいていくさ」
「そっか…。私ね、もう高校行けなくて人生失敗したと思ってた。でも、もう一回やり直せるのかな」
「もちろん。次は全日制じゃなくてもいい。行きたいところでがんばれればいいと思う」
私はその言葉を聞いて、今までのもやもやが少し溶けた気がした。
「ありがと」
私はファインダーを覗きこんで、位置を合わせ直した。
一度合わせてあったから、土星が少し真ん中からずれていただけだった。
「どんな感じに見えるのかな…」
私は髪を押さえてアイピースを覗きこんだ。
そこには、土星とその輪っかがあった。
「え!これ!?すごい!輪っかだ!ほんとに見れるんだ!」
私はしばらくその姿に夢中になっていた。
「え、周りに小さな点もいっぱいあるよ。なに?」
「それは土星の衛星だと思う。地球の月と同じような感じ」
「そうなんだ…」
私はずっとその環を見つめていた。
空気のせいでぶるぶる震えているけど、でも、美しい。
「きれいだね…」
私はしばらく夢中になっていた。
「どう?来てよかった?」
「うん。連れてってくれてありがとう。私、また望遠鏡で遊んでみたいな」
私は夜空の星々を見上げていた。
「望遠鏡をいじってる間の私って、なんだか好きかも」
そのとき、私は少しだけ生きている実感を得た。


















