即興文学

即興文学#8 -屋上で見たマルカリアンチェーン-

即興で書いた短編を公開するシリーズ、「即興文学」です。

今日は「屋上で見たマルカリアンチェーン」をお届けします。

本文

物理の授業はとにかくつまらない。

「だから、ここで運動方程式を立てて…」

そんなことくらい知っている。

私はあくびを抑えて、一般相対性理論の教科書を読んでいた。

「あいつ、また変なの読んでるよ。自慢?」

そんな声が聞こえてくる。

「なるほどね、アインシュタイン=ヒルベルト作用から重力場方程式を導出するのか。まあどうせヤコビの公式で変分するだけでしょ」

しばらく教科書を見ながら手を動かしていた。

そして授業が終わった。

「あいつ、マジでなんなん?授業中に変なことしてるし、意味わかんない本読んでる。絶対気づいてほしいオーラ出して自慢してるだけじゃん」

そんな声が聞こえてくる。

この前の数学のテストは87点、物理は95点だった。

「え、お前、いつも頭よさそうな本読んでるのに満点も取れないの?ださっ!笑」

席が近い男子に笑われた。

「誰だって凡ミスくらいあるよ…」

私は半ば諦めていた。

このクラスに私を分かってくれる人はいなかった。

「今日も学校か… めんどくさいな」

私は学校に行く意味を失いつつあった。

授業は数学と物理は全部分かってることをなぞるだけ。

でも、化学は苦手だった。

私は科学のテストで37点を取ってしまった。

親からも「やっぱり頭よくないんだね。ちゃんと勉強したら?」と言われた。

「もうやだ…」

その日、私は学校に着いたが、教室に入るのが嫌で屋上に逃げた。

「今日はここでぼーっとしてようかな」

校庭を見下ろすと、サッカーをしているようだった。

「私もみんなと同じように遊びたかったな…」

周りは「え、運動方程式?あんなのむずすぎでしょ笑」と言っていた。

私は「あんなのもわからないの…?」と思っていた。

でも、一度はあんなふうに笑い合いたいと思っていた。

最初は友達がいた。

でも、話題が違いすぎてどんどん私の元から離れていった。

気づけば遊びに誘ってくれる人はいなくなっていた。

「さびしいよ…」

私はスポーツドリンクを開けて、空をずっと見つめていた。

スマホを開くと、もう12:23になっていた。

「もうお昼休みか…」

私はコンビニで買った紅鮭おにぎりをカバンから出して、立ちながら食べた。

「ひとりは嫌いじゃないんだけど、誰かには理解してほしかったな」

なんとなく昔の写真を見つめていた。

そこには、5月に友達とふたりで撮ったプリクラが眠っていた。

「ずっと一緒だよ!」と書いてあった。

だが、その友達はもう話しかけてこない。

気づけば涙が頬をつたっていた。

「やっぱり、さびしいよ…」

私はゴミ箱ボタンを見つめた。

だが、消すのはやめた。

そんなことをしていると、隣に誰かがやってきた。

「おい、そんなところで何してるんだ?」

隣にいたのは物理教師のAだった。

「べつに… なんか嫌になったから屋上きただけ」

「ほっぺが濡れてるけど、泣いてる?」

「泣いてない!もうあっち行って!」

私はまた空のほうに視線を戻した。

変な形の雲が流れていた。

「なあ、見たぞ。お前のノートの端っこに書いてある数式」

「それが何?関係ないでしょ」

「あれはな、高1ではありえない」

私は黙ってしまった。

「どうせあんたにもわからないんでしょ?もういいよ」

私はずっと変な形の雲を見ていた。

「あれは測地線方程式だろ?俺も大学でやってたよ」

わかるのか…と少し思った。

「どうやって勉強してるんだ?まだ高1だろ?」

「あんたには関係ない」

その教師は私の隣でサンドイッチの袋を開け始めた。

「クリストッフェル記号ですら、院生が泣きながら「もうやだ!」ってやめてくんだぞ。それを高1でか…」

私は2個目の紅鮭おにぎりの袋を開け始めた。

「今まで気づいてなかったけど、お前にはなんかの才能がある。もしよかったら話さないか」

私はおにぎりの最初の一口を食べた。

「どうせ扱いづらい生徒だとか思ってるんでしょ」

私は何度も人に裏切られた経験があった。

だからもう人を信じたくなかった。

「それでさ、お前は相対論の数式が好きなのか?それとも宇宙が知りたくて相対論をやってるのか?」

私は少し考え込んだ。

「宇宙が知りたいの。昔に見た皆既月食が忘れられなくなって、どういう風に光が曲がるか知りたくなっただけ」

「なるほどね… でも今、その楽しさを見失ってないか?」

私は少しどきっとした。

最近はみんなの視線を浴びながら教科書を開くのが現実逃避みたいになっていた。

正直、勉強もルーティンと化していて前ほど楽しくはなかった。

「今日、天文部で電子観望をするんだ。来い」

「電子観望…?なにそれ」

私が初めて聞いた言葉だった。

「マルカリアンチェーンが見れるんだぞ。どうだ、来るか?」

マルカリアンチェーンといえば、あのおとめ座の銀河団…?

「え、ほんとに見れるの…?」

「ああ。画面越しだけどな。今日の20:00からやるから、もしよかったらまた屋上に来い」

その物理教師はそう言って去っていった。

「マルカリアンチェーンが見れる…」

私はその夜、屋上に来ていた。

そこには巨大な望遠鏡と、それをいじる怪しげな教師がいた。

だが、そこには生徒たちはいなかった。

「日程間違えた…くそ」

物理教師がうなだれていた。

「ちょっと、どうしたの?」

「おお、来たか!ちょうどよかった」

彼は何やらカメラをいじくっている。

その下には光るパソコンが置いてあった。

「今日日程間違えたんだよ… でもちょうどいい。特別にお前だけに見せてやる」

「日程間違えたんだね。先生らしい笑」

「バカにするな!笑」

彼はパソコンをいじっている。

「望遠鏡がマルカリアンチェーンの方向を向くんだぞ。見てろ」

彼がパソコンのボタンを押したとき、何やら望遠鏡の下の機械が「ウィーーン」と鳴り始めた。

望遠鏡が天頂の方を向き始めている。

「え、望遠鏡が勝手に動くの?なにこれ!」

「赤道儀っていうやつで、好きな場所に望遠鏡を向けられて、追尾も自動でやってくれるんだぞ」

私はその機械をしばらく見つめていた。

「よし、ガイドも完璧…」

「ねえ、今から撮影するの?」

「そうだ。何枚も撮影して、重ねてノイズを減らしてくんだ」

「すごいね…」

「試しに3分で撮影してみよう」

彼はボタンを押した後、立ち上がって空を見上げていた。

「あの明るいやつ見えるか?あれがおとめ座のスピカだ」

「へぇ…」

「あれがしし座のデネボラだな。あいつはビンデミアトリクス」

「よく星の名前、知ってるね」

「まあ、天文部だからな。マルカリアンチェーンはデネボラとビンデミアトリクスの間らへんにある」

私は2つの星の間を見つめていた。

「お!撮影ひとつ終わったぞ!見ろ!」

私はパソコンの画面を覗きこんだ。

そこには無数の星以外に、楕円形の丸っこいやつがたくさん写っていた。

「え、これ今撮ったやつ!?」

「そうだ。すごいだろ」

「え、全部銀河なの?」

「そうだ。こいつはM84で、こっちはM86だ」

「すごい…」

私はネットで銀河団の写真をいくつも見てきたことがあったが、今回のように生の写真を見たのは初めてだった。

「え、これで一枚?もっと重ねたらもっと綺麗になる?」

「うん。ここからずっと撮ればツルツルになるぞ」

「そうなんだ…」

私はその写真をずっと見ていた。

「今まで数式ばかり追ってたけど、生の宇宙は見てこなかっただろ?」

「たしかに、そうだね」

「嫌になったら宇宙を見ろ。宇宙には無数の銀河が輝いてる。そして理論の最前線で一般相対性理論が活躍してるんだ。どうだ、すごいだろ?」

「うん」

私はしばらく写真を見つめていた。

そして立ち上がって、またデネボラとビンデミアトリクスの間を見た。

「嫌になったらまた屋上に来い。次はかみのけ座銀河団を見せてやる」

私はそのとき、少しだけ一般相対性理論が生きているように感じた。

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