即興文学

即興文学#3 -天の川と医学部に落ちた少女-

即興で書いた短編を公開するシリーズ、「即興文学」です。

今日は「天の川と医学部に落ちた少女」をお届けします。

本文

「あなたは医者になりなさい」

そう小学校の時から親に言われて育ってきた。

中学受験もした。

本当はやりたくなかった。

「なんでつるかめ算くらい理解できないの!今日のおやつはないからね!」

私はそのとき、「なんでこんなことしてるんだろう」と思った。

そして医学部を7つ受けた。

模試の判定は直前までE判定だった。

でも、志望校を変えられなかった。

「あなたには医学部しかないのよ」

母親は常にそう言っていた。

部活もやめさせられた。

バスケ部の友達は「え、最後の試合はどうするの?」と言っていた。

私は「ごめん、受験勉強に集中したくて」と言った。

そこから毎日予備校で詰め込み学習が始まった。

「いいですか、医学部は甘くありません。あなたが怠けている間にも、他の受験生は必死に勉強してるんです。休日は15時間勉強してください」

でも私の成績は上がらなかった。

英語も数学も化学も、基礎からぐちゃぐちゃだった。

なのに止まれなかった。

そして、受験本番の日。

私はお腹が痛くなった。

トイレで何度もお腹を下した。

頭がぼーっとして、試験どころじゃなかった。

そして全落ち。

母親はこう言った。

「何これ?あんたのためにどれだけのお金注ぎ込んだと思ってるの!!この恩知らずめ!!もう家から出てけ!!」

私は泣きながら、自分の荷物をスーツケースに詰めて家を出た。

でも、心の中ではこの世界を去る準備をしていた。

ここはある茨城の岩場。

「ここから海に落ちれば、誰も気づかないよね」

私の足は震えていた。

スマホを見た。

今は午前1時。

「もう誰も、私のことなんか見てない」

しばらく岩場の前で座り込んでいた。

夜空には星々が光っていた。

でも、そんなのどうでもよかった。

波の音を聞いていたら、気づけば1:43になっていた。

「何してるんだろ、私」

そんなことを思っていると、後ろから誰かの足音がした。

「え、誰?まさか、ママ…?」

私は震えながら後ろをそっと振り返った。

そこには、赤ライトを頭につけて三脚を持って歩いている謎の人がいた。

「何あの人…こわい」

私は知らないふりをして縮こまっていた。

「こんばんは。ここで何してるんですか?」

そこにはある男子大学生っぽい人がいた。

「こんばんは… ちょっと、色々あって…」

私は小さな声でそう答えた。

相手には聞こえていなかったかもしれない。

「あなたの隣、いいですか?ここ、おいしい撮影スポットなんですよ」

私は無言で場所を空けた。

彼は私の横でごそごそし始めた。

恐る恐る見てみると、バッグからカメラを取り出したりしている。

「よし…完成っと」

彼はカメラに夢中になっている。

私は思わず聞いてしまった。

「すみません… どうしてここに来たんですか?」

彼は少し間を置いて言った。

「もうすぐ天の川が東から昇ってくるんです。それを撮影しに来ました」

天の川、か…

「そうなんですね… 天の川って、なんですか?」

「天の川というのは、私たちが住んでる銀河のことなんですよ。私たちは銀河の腕のほうにいるけど、中心には無数の星が集まっている。それがぼんやり見えるんです」

へえ…と思った。

「それって、私でも見えるんですか?」

「もちろん。写真だけじゃなくて目でも見えますよ」

私は「天の川ってどんな姿をしてるんだろう」と思った。

「天の川を撮影するためだけに、こんなところまで来るんですか?」

思わず失礼なことを言ってしまった気がする。

「そうですよ。僕は天の川に命をかけてます。新月の晴れた夜には日本全国を飛び回って、天の川を撮影してインスタにあげてるんです」

私は少しだけ、「なんかかっこいいな」と思ってしまった。

「もしかして大学生の方ですか?」

「いいや、僕は高卒です。親に医学部に行けって言われてたけど、嫌になって受験をやめました。そこからは必死でバイトして、カメラもレンズも全部自分で買ったんです」

すごい。

この人も私と一緒だったんだ。

親に「医学部に行きなさい」と言われて、でも嫌で、高卒で全国を飛び回っている。

「なんかあったんですか?」と彼は聞いた。

「いや… 実は私も、親に医学部に行け行けってずっと言われてたんです。慶應医学部を第一志望にして、7つも学校を受けました。でも、全部落ちちゃったんです。そして家から追い出されました」

彼はぽかんとしていた。

「そうだったんですね… でも、せっかくここまで来たんです。天の川、見てみませんか」

私ははっとした。

天の川。

「ほんとうに、今日見れるんですか?」

「はい。今日は雲ひとつない快晴です。しかも月もいない。これ以上ないほどの最高の条件ですよ」

私は「これ以上ないほどの最高の条件」という言葉がなんか引っかかった。

「今、最高なんですか」

「はい。今日は最高の日ですよ。日本中の天文ファンがカメラと望遠鏡を持って星を撮っているはずです」

私はなんかもやもやした。

私にとっては、最低最悪の日なのに。

「あと10分で天の川が見えてくると思います」

彼は淡々としていた。

一緒に泣いてくれるわけでもなかった。

いや、こんな岩場で座ってる私なんかのために泣くわけないか。

「私なんかが、ここにいていいんですか。撮影の邪魔にならないですか」

彼はこう言った。

「僕は現地の人との出会いを一番大切にしてます。確かに、ひとりで撮る天の川は綺麗です。でも、その写真を見返しても大した思い出にはなってません。ですが、その時出会った人と話しながら撮った天の川は、僕にとって一生の財産になります。今日、あなたに出会えて本当によかったです」

私はその言葉を聞いたとき、なぜだか涙がひとしずく垂れた。

「ほんとですか… うれしいです」

私はこの大学生の言葉にちょっとだけ、ほんの少しだけ救われた気がした。

「あの、もしよければインスタ交換しませんか」

私は自分のインスタのQRコードを見せた。

「いいですよ!人との出会いは一期一会ですから」

私たちはインスタを交換した。

「すごい…」

彼のフォロワーは12万人だった。

対して、私の鍵垢のフォロワー数は12人。

「フォローしときますね」

「え、いいんですか…?フォロワー12万人もいるのに、私なんかをフォローしても…」

「現地で出会った人はもう友達なんです。フォロワー数とか関係ないですよ。いつでも声をかけてくださいね」

「ありがとうございます…」

彼のフォロー数はわずか293人。

その中に私が加わった。

「あ、ちょうど天の川が昇ってきた時間ですね!見えますか?あそこにもやっとしてるやつ」

私は水平線のあたりをじっと見た。

「あれ?なんか、ちょっと雲みたいなのが…」

「それです!それが天の川です!」

私は生まれて初めて天の川を見た。

両親は一度も旅行に連れて行ってくれなかった。

休日は予備校の仕切りスペースしか見ていなかった。

「こんなの、見たことないよ…」

私はずっとそのもやもやを見ていた。

時間が経つにつれ、そのもやもやはどんどんはっきりしてきた。

隣からシャッター音が聞こえる。

彼にとってはこの瞬間を一番待ってたんだろう。

私は今まで、何してたんだろう。

平日は8時間、休日は15時間勉強していた。

でも、全部落ちた。

隣にいる人は医学部に落ちたのか、それとも受験自体が嫌になったのか。

よくわからないけど、星空に夢中になってる。

「そんな生き方も、いいのかな」

彼が話しかけてくれた。

「もうレリーズをセットしたのであとは放置するだけです」

「そうなんですか」

「天の川、初めてですか?」

「はい… ほんとに、初めてです」

私はずっと、海の上に浮かぶ巨大なもやもやから目が離せなかった。

「つらいときは、天の川を思い出してくださいね」

私は少しだけ、「医学部じゃなくても天の川が見えるんだな」と思った。

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