人生

生きる意味がわからない高校生へ。星は今日も輝いてる

生きてる意味がわからない。

もうしんどい。

そんな思いでこのページに辿り着いたんだと思います。

高校生という時期は内面がぐちゃぐちゃで、言葉にできない感覚も多いと思います。

私は今19歳ですが、私も高校生の時にたくさん苦しみました。

詳しくはこのページを読んでほしいですが、閉鎖病棟に入ったこともあります。

そんな私がどうやって生きる意味と折り合いをつけたのか、少しここで書いてみようと思います。

生きている意味に迷うあなたに届くことを願っていますが、無理に受け取る必要はありません。

参考になればうれしいです。

私も生きる意味がわからなかった

私は中学受験をした。

目指したのは偏差値70くらいの公立中高一貫校。

それまで「銀本」という、全国の公立中高一貫校の適性検査の過去問が集まった辞書のように分厚い本をやり込んでいた。

結果は合格だった。

私も親も塾の先生も、みんなで喜んだ。

「これで安心だね」

私はほっとした。

もし落ちたら、地元の中学校に行かなくてはいけなかった。

そこは荒れていることで有名だった。

「あそこにだけは行きたくない」という思いのほうが強かったと思う。

そして入学式。

中学生と高校生の合同入学式だった。

中高一貫校の中学校としての歴史は浅く、私は中学校の2期生として入学した。

そこは学校というより、大学のキャンパスなんじゃないかと思うほど綺麗だった。

白い壁とガラスを使った建築が美しかった。

そして授業が始まった。

最初は慣れるので精一杯だった。

新しいことだらけ。

だが、4月末の宿泊体験学習でみんなの距離が一気に縮まった。

一気にクラスの中にグループができた。

私はそのグループの中に入れなかった。

はぶられていたわけではなかったが、話す人は毎日バラバラだった。

部活で仲良くなった子は隣のクラスで日中はほとんど会う機会がなかった。

そして私は浮き始めた。

私は数学への興味が異常だった。

小学5年生でリーマン予想に出会い、中学生になる前に微分積分や線形代数も理解していた。

「ここは偏差値70の学校だ。もうひとりくらいは天才がいるだろう」

誰もいなかった。

「リーマン予想?なにそれ?役に立つの?笑」

「それよりお前体育苦手じゃん。頑張れよ」

私の真の理解者は誰もいなかった。

表面ではみんなと楽しそうに話していた。

だが、学校からの帰り道では孤独だった。

後期に入り、学校の宿題は多くなっていった。

部活のある日は18時くらいに学校を出る。

そこから家までJR2路線と地下鉄、バスで1時間半。

お風呂に入ってご飯を食べたら21時くらいになっていた。

そこから宿題。

寝るのは遅かった。

そして6時起床。

気づけば私はこう考えるようになった。

「なんのために生きてるんだろう」

宗教に出会った

私は「生きる意味」と検索した。

そして出会ってしまった。

宗教だった。

「仏教の教え」と書いてあったが、まるでお坊さんみたいな語り口だった。

油断していた。

そして私はメルマガに登録した。

そのメルマガの内容で私は震えた。

「多くの人は生きる意味について何も考えず、ただ漠然と生きています」

「ですが、生きる意味がない人生っておかしくないですか?まるでゴールのないマラソンみたいですよね」

私は深くうなずいた。

そしてメルマガが終わった。

ネットコースへの誘いだった。

私は中学生でクレジットカードどころか銀行口座も持っていなかった。

「少額でもお布施がなければネットコースは受けられません」

私はその主催者にメールした。

「私は中学生なんです。現金書留でお金を送るのでも大丈夫ですか?」

返事はこうだった。

「まさか中学生が仏縁を求めに来るなんて。喜んで歓迎します。もしよかったら週に一回、私と45分Zoomで話しませんか」

そこから毎週法話を聞き続けた。

S会という新興宗教団体だった。

教えはこうだった。

私たちは普段嘘をついたり、生き物を殺したり、親を恨んだりしている。

それらはすべて地獄行きの悪い行いだとされた。

救済なしでは全人類が地獄に落ちてしまう。

それもただの地獄ではない。

無間地獄という、地獄の8段階の中で最も激しいものだった。

その無間地獄行きを回避するには、「絶対の幸福」を得る必要があると言われた。

絶対の幸福を得た人間は地獄から解放され、死後は浄土に生まれるという。

その「絶対の幸福」を得ることこそが人生で唯一果たすべき目標であり、生きる意味だと言われた。

私はそれをそのまま信じ切った。

そして終わらない求道の日々が始まった。

ただただ疲れ切っていた

私は中学校を不登校になった。

そしてやめた。

親は毎日悩んでいた。

「せっかく中学受験していい学校に入ったのに。どうして…」

だが、私は親に宗教の話を一切していなかった。

講師は言った。

「親には仏教の話をしないほうがいい。尊い仏縁が切られる可能性がある」

私はそれを忠実に守った。

私はネットで完結する通信制の高校に行った。

活動はどんどん激しくなっていた。

「絶対の幸福」を得るためには法話を聞くことと布施が重要だと教えられた。

布施とは献金と布教を指す。

私は講師のすすめで、同じ高校生に教えを伝えるブログを書いた。

いわゆる布教ブログだった。

そして私のもとには仕事が舞い込んできた。

その講師はS会の中でも一目置かれるYouTuberだった。

そこで私が彼の原稿を英語に翻訳することになった。

想像以上に大変だった。

20分以上の動画で文字数が非常に長く、仏教の用語も複雑で大変だった。

私は正直自信がなかった。

ひとつの動画の翻訳には10時間以上かかった。

支払われた報酬はひとつの動画につき6500円。

時給で言うと650円くらいといったところか。

それがほぼ毎日続いた。

報酬も講師との法話で毎回お布施するように言われていた。

講師へのお布施、ブログのレンタルサーバー代、有料テーマ、メルマガ料金などでお金はどんどん消えていき、自由に使えるお金は全くなかった。

そしてある日、私は起き上がれなくなった。

脱会して生きる意味を失った

気づけば私は泥のように眠っていた。

23時就寝、14時起床。

それが1週間くらい続いた。

もう原稿の翻訳は嫌になっていた。

セミの抜け殻のようになった私は、何気なくネットで「S会」と調べた。

そこから今まで見ないようにしてきた情報の洪水がやってきた。

「S会は大学で偽装勧誘をしている」

「S会の会長は会館の最上階に御殿を隠し持っている」

「会長一族のバスが温泉旅行に向かっていった。洗車は会員たちの仕事だった」

「S会会長の著作には盗作が多い。証拠もある」

「S会は総会員数を詐称している。明らかに多すぎる」

私は圧倒された。

そして何も信じられなくなった。

今まで信じていたものが崩れた。

私の世界は終わった。

そして私は講師にLINEで脱会宣言をして、静かにブロックした。

これですべてが終わったはずだった。

迫りくる無間地獄の恐怖

講師からの連絡はなくなった。

だが、無間地獄の教えは何一つ抜けなかった。

今まで私は、S会にいたからいつか無間地獄を逃れられると思っていた。

脱会してその可能性がなくなった。

私はもう無間地獄に行くしかないと思った。

そして白昼夢と悪夢の繰り返しが始まる。

「お前は師匠を裏切った。謗法だ。地獄だ。無間地獄だ。無間地獄に落ちるぞー!」

私は布団の中で耳をふさいで嗚咽した。

地獄の獄卒が目の前に現れた。

私の口に溶けた銅を入れようとしてきた。

そこから先はあまり覚えていない。

そして夜、眠ると30分くらいで絶叫とともに飛び起きた。

炎に焼かれる夢だった。

私は生きるのも寝るのも怖くなった。

そして私は手首を切っていた。

星を見上げた夜、私は呼吸を取り戻した

そこから私は2回もカフェイン大量摂取を繰り返した。

何回救急車に運ばれ、何回入院しただろう。

あるときは閉鎖病棟に入れられた。

スマホのない鉄の空間の中、私はただただ寝ていた。

人間ではなく、ペットショップの犬のような扱いをされたとすら感じた。

だが、そこにはもう地獄の獄卒はいなかった。

どれくらいの時が過ぎただろう。

私は兄と野辺山に行った。

兄は天体写真が好きだった。

「気晴らしに星でも見に行こう」

私は野辺山と聞いて、そこまで星が見えるわけがないと思った。

野辺山はほとんど山梨に近い長野県にある。

どうせ大したことないだろうと見くびっていた。

野辺山の民宿に着いた。

そして夜になった。

私は目をまんまるにした。

「うそ…」

そこには数え切れないほど多くの星が輝いていた。

しばらく二人で黙って夜空を見上げていた。

私は泣かなかった。

もはや泣くという次元を超えていたのだろう。

ただただあっけにとらわれていた。

「よくここまで来たね」

星たちがそう言ってくれているように感じた。

宇宙にはこんなにも美しい光がたくさんある。

私は何を見てきたんだろう。

地獄地獄と言い聞かせられてきたけど、星のことは教えてくれなかった。

同じ宇宙なのに。

そんな思いで1時間以上夜空を見上げていた。

星座を覚えて私は季節を取り戻した

それ以降、私は野辺山に通うようになった。

お金がかかるから毎月は行けない。

行っても曇ることだってある。

ただ、その中をくぐり抜けて星を見ることができたときの開放感は何ものにも代えられなかった。

私は星図アプリをスマホにインストールし、毎日5時間以上星座や天体をぐるぐる眺めていた。

家族は私のことを「星空依存症だね笑」と笑った。

私は星座を大体覚えた。

星座を覚えたら季節の見方が変わる。

春はおとめ座、おおぐま座。

夏はさそり座、はくちょう座。

秋はアンドロメダ座、カシオペヤ座。

冬はオリオン座、おおいぬ座。

季節は劇的には動かない。

でも着実に動いていく。

私はそんな宇宙の広大な時間感覚を味わった。

そこにはもう地獄の獄卒はいなかった。

生きる意味なんて今でもわからない

正直に言う。

今の私に生きてる意味なんてよくわからない。

最近の私は星空と向き合ってブログを書く日々。

それが生きている意味なのかもしれない。

でも、曇って星空が全く撮れない日もある。

そんな日は生きている意味がないのか?

そんなことはないと思う。

結局、生きる意味なんて人それぞれなのだ。

私は「生きる意味」というひとつの正解を信じる危うさを身をもって体感した。

宗教に与えられた私の生きる意味は、結局は私を縛るものでしかなかった。

私は運よく3年で脱出できた。

だが30年経っても出れない人もいるという。

もし私があのときS会にいたままだったら、私はずっと無間地獄に縛られたままだった。

そして星空を見上げることもなかった。

だからこそ、私は「生きる意味」を他人に渡さないことが何よりも大切だと思う。

あなたの生きる意味を他人に渡した瞬間、あなたはあなたでなくなる。

迷ってもいい。

つまづいて転んでもいい。

ただ、あなたの生きる意味は他人に渡してはいけない。

私はそう思う。

最後に

ここまで長々と書いてきました。

読んでくださりありがとうございます。

これはあくまで私の体験談です。

ただ、私の体験を通してでしか伝えられないこともあると思って今回書きました。

私は思うんです。

野辺山に行っても、いつでも星が見られるわけじゃない。

曇ることだってたくさんある。

むしろ曇って当たり前。

曇ったときは「野辺山まで来た意味なかったじゃん」と思ったりもする。

でも、帰りの特急に乗るときにはなぜか心が軽やかになっている。

人生は常に晴れるわけではありません。

曇ることもたくさんあります。

だからこそひとつひとつの晴れに真剣に向き合えるのではないでしょうか。

私は野辺山で晴れたら、たとえ眠くても全力で外に出て星を眺めて、そして撮影します。

星空ファンにとって晴れは一期一会。

そのチャンスを逃したら、次来れるのはいつになるかわかりません。

だから真剣に生きる。

そして曇りの日はしっかり休む。

それが一番人間らしくて、私は好きです。

もしよければ参考にしてくれたらうれしいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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